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2つの欲望の分離と統合/美術家としての生き方(改題1加筆2校正1) [キチガイ美術批評]


上の【YouTube画像】で、《原自動車》の話は分かりずらかったと思いますが、自動車の中にはヨーロッパ系の高級車と、アメリカや日本などの大衆自動車があって、これが同じ自動車と呼ばれているにもかかわらず、かなり異質なものなのです。

似て非なるものと言えますが、彦坂尚嘉の分析言語では、《原自動車》性が高級車にはあるけれども、大衆車には無いという分析になります。

《原自動車》性というものを理解するには、自動車の歴史をさかのぼって、最初の自動車を見てみる必要性があります。

 まず、最初の自動車というのは軍事技術から生まれていて、大砲を運ぶための蒸気で動く車だったのです。1769年にフランスの陸軍技術者ニコラ・キュニョーが制作した蒸気自動車・ファルディエ(『キュニョーの砲車』)です。これが彦坂が言う《原自動車》です。

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この蒸気自動車は、蒸気機関車や蒸気船よりも早くに作られているという事においても、《近代》というものをとらえる意味で重要です。蒸気機関の発明が産業革命を生み出すわけですが、この発明が《近代》で重要なのは、それが交通網をつくりだすところにあると言われます。その近代交通網の最初が、『キュニョーの砲車』=蒸気自動車であったのです。つまり「はじめにすべてありき」という原則から見れば、『キュニョーの砲車』こそが近代交通網の元祖なのです。

ヨーロッパの高級自動車には、この『キュニョーの砲車』という軍事技術が生み出した蒸気自動車の歴史への遡行性が残っているのです。分かりやすく言えば、例えばベンツという自動車には、こうした軍事性が、現在にもあるのです。

それに対して、アメリカ車や日本車には、こうした『キュニョーの砲車』への遡行性がありません。

こうした差の問題が、何故に生じるのか?

それは、一つの統合性としてある本来のものを、道具としての利便性だけに分離して道具として自立させたものが、アメリカや日本の大衆自動車なのだということなのです。

この自動車にある2種類性と同様のことが美術家にも言えて、美術家にも2種類があって、欧米型の高級アーティストと、日本に多くいる大衆アーティストとがあって、これが同じように美術家と呼ばれているにも関わらず、かなり異質なものなのです。似て非なるものであって、《原美術家》性が無いのが、多くの日本の美術家たちなのです。

ここで言う《原美術家》性というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ的な意味での万能人的な総合性と、職業美術家の系譜性です。

美術家の歴史というのは、職業美術家の歴史であって、美術史の中でアマチュア美術家とか兼業美術家のアーティストを、具体的に探すのは、極めてむずかしいのです。

この【YouTube画像】で問題にしているのは、兼業美術家と、専業の職業美術家の間にある原理状の差の問題です。


美術家として生きるのには、どうしたら良いのか?
この問いは、アーティストとして出発する前の学生時代から常に頭にこびりついて来たものでありました。これに関連して文章も、書いてきています。




ここにきて、再びこの問いが真剣で切実なものとなったののは、美術史や美術界が大きな変動に見舞われている一方で、若いアーティストと接していて、その若さの悩みを自分のものとして考えるからです。

人間には、二つの基本的な欲望があって、一つは生物的な欲望で、食べ物を食べて、セックスをして子孫を残すという欲望です。もう一つは生きる意味とか、意義という問題です。この2つの欲望を組み合わせるかで、生き方が変わるのです。

一つの態度は、たとえば学校の先生になって食べる収入を安定させ、結婚して子供をつくって育てる。その一方で、絵を描き続けて行く。このように生物的な欲望と、生きる意味/意義を分離させて生きるやり方です。分離させる事は合理的であって、良いように思えますが、ここにはその安易さがもつ自己欺瞞があります。

これはこれで、しかし、このスタイルで生きている美術家の人数は多いので、もちろん正しいのです。そのことを批判する気持ちも無いし、各自の決断は、私は認めているのです。

こうした分離で成立させている人々が、じつは大衆という構造なのです。大衆とは何か? という問いも難しいですが、彦坂尚嘉的に言えば、大衆の精神状態というのは、実は統合性や総合性、そして歴史的な遡行性を欠いた、断片的で分裂的な分離主義の精神状態だと考えます。つまり物事を分離させて、ばらばらに成立させることで生きているのが、大衆なのです。

つまり大衆美術家のように、この分離を前提にすると、そこでの美術というものは変わるという事です。分離するとき出現するものは、趣味としての美術であると言う事です。趣味の美術というのは、実は内容が古くなるのです。趣味というのは【YouTube画像】の中で指摘しているように、過去の古い良き時代への退行の中で成立する傾向があるのです。

多くのアーティストのありようや、各自の自由を彦坂尚嘉は十分に認めた上で、それとは別に自分の選択を考えた時に、それでも美術家として制作をして作品を売って行くと言う極めて困難な道に集中して行きたいという欲望が、彦坂尚嘉には昔からあります。

つまり生物的な欲望と人間として生きる意義/意味を重ねたいという欲望です。分離をしないで統合を追求したいという欲望です。

こうして2つの欲望を分離しないで統合した場合、そこで出現する美術というものは、分離している趣味の美術とは全く違う美術が出現してくるのです?。それは趣味としての美術では無くて、事業としての美術です。芸術起業論を書いた村上隆の正当性は、この2つの美術の差にあります。

つまり欲望を分離して出現してくる趣味の美術と、芸術起業としての美術の差に、確然とした差があるということです。

すでに書いたように分離してしまうと大衆の存在になって、統合を希求すると貴族になるのです。

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『毎日オークション/1円オークション』を始めた時に、それは私自身の深い欲望であって、作品数をつくりたいという欲望と、作品を、どんなに安くても売って生きて行きたいと言う欲望でした。しかし、本当に毎日1点の作品をつくりつづけていけるのか? その不安というか、確信もなかったのです。

日記やブログを毎日書いて行くのも、やさしそうでむずかしい事です。誰もが出来る事ではないのです。同様に毎日作品を作るということが、実は、なかなか多くの美術家には出来ないのです。それが『毎日オークション/1円オークション』をはじめると出来るようになった。

何故にできるようになったのか? 他人の眼差しの中にいるからです。コレクター諸氏と直に接して制作していると、作品が1日1点どころか、もっとたくさん出来るのです。この発見は素晴らしいものでした。

この喜びは深いものがあって、これだけ十分といえるほどに深い喜びがあります。作品を作る事がうれしくて、楽しくて、自分の生きる意義や意味が見いだせるのです。

さて、ここで理解できた事は、つまり制作は出来るのですが、今度はブックマットの装丁や、額装に時間がかかて、コレクターのみなさんの欲望に対応していないという事です。これについての解決を探して、そして見つけました。これについては別のブログで書きます。







浜田知明(加筆3) [キチガイ美術批評]

 





彦坂尚嘉のキチガイ美術批評
浜田知明展


葉山の神奈川県立近代美術館で開催されている浜田知明展を見て来ました。 

浜田知明というと、何と言っても戦争体験を銅版画にした「初年兵哀歌シリーズ」が強烈に印象深いものです。今回この全15点を初めて見ましたが、たいへんにすぐれているものでした。


彦坂尚嘉の《言語判定法》での『アートの格付け』、および『芸術分析』は次の様なものです。

浜田知明1.jpg

浜田知明『風景』1953

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《超次元》〜《第6次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》だけの表現。
液体だけの表現=近代美術

《気晴らしアート》。
《ローアート》。

シニフィアンの表現。
原始脳の表現。

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》がある。

《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》《形骸》《炎上》《崩壊》は無い。

大衆の芸術である

作品空間の意識の大きさが《国家》である。
鑑賞構造があって、それは《対話》である。

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たいへんにすぐれている銅版画という印象を持って来ましたが、それは《想像界》で《超次元》性や《第1次元》性を示していることによります。

同時に、《原芸術》《芸術》《反芸術》という芸術の上部構造を持つ液体美術=近代美術という性格を持っているからです。


しかし作品そのものを踏み込んで分析すると、《想像界》だけの作品に過ぎないのです。

つまりイメージを作っているだけの作品で、《象徴界》や《現実界》は《第6次元 自然領域》であって、そのために絵画としてみると《原始平面》の『ペンキ絵』に過ぎない構造をしているのです。

もう一度作品を見てみましょう。絵画において《象徴界》の部分というのは、絵画空間をつくっている器の部分です。下の絵で言うと、串刺しになった人体が浮かぶ建築空間のところですが、これがきちんと建築空間として背景の壁が壁として対象化されて描かれていないのです。下から見上げた空間のすべてにこの壁が存在しているのですが、画面の隅々まで壁が有るはずなのに、その意識がキチンと貫徹されていない。曖昧にイメージの中で何となくというふうにごまかされている。


浜田知明1.jpg

もう一つの《現実界》の問題ですが、多くの人の異論はあると思いますが、彦坂尚嘉が《言語判定法》で測定して来た一つの結論は、絵画におけるフォルムの輪郭線の存在・・・・中国絵画が鉄線描法とか遊糸描と言って来た描線の問題です。上の浜田知明の作品を見ると、串刺しになった一つの人体を丁寧に輪郭線で見ると、一つの塊としての統一的な輪郭線を持っていないのです。イメージの曖昧さのなかで切れ切れになってしまっている。つまりひとつひとつの人体が、塊として独立したものとしては対象化されていないのです。それ故に《現実界》が無いという反応が、彦坂尚嘉の《言語判定法》では出てくるのだろうと思います。


日本の敗戦体験のすぐれた芸術的成果というべき浜田知明の「初年兵哀歌シリーズ」を、『ペンキ絵』に過ぎなかったという風に芸術分析をするのは、ずいぶんと過酷な芸術批評であることになります。


しかし美術作品をイメージを作る=メイキングイメージと考える浅さは、日本の近代美術に色濃くある浅薄さであって、そのことが後年の浜田知明の作品の浅さとなって出現するのです。


この展覧会では第3章として1970年から2000年までの作品を「悲しみとユーモア」という形で整理していますが、この後半の作品は、誰に目にも『初年兵哀歌シリーズ』とは異質の作品に見えるものです。この中から「いらいら(B)1975年」という作品を芸術分析してみます。


浜田知明2.jpg

 

浜田知明『いらいら(B)』1975

彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》だけの表現。
液体だけの表現=近代美術

《気晴らしアート》。
《ローアート》。

シニフィアンの表現。
原始脳の表現。

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》が無い。

《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》が有る。

《形骸》《炎上》《崩壊》は無い。

大衆の芸術である。

作品空間の意識の大きさが《国家》である。

鑑賞構造があって、それは《対話》である。


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特徴的なのは「初年兵哀歌シリーズ」にはあった芸術性は消えて、

完全なデザイン的エンターテイメント作品になっていることです。


さてもうひとつ、浜田知明は、彫刻を作っていますが、

この彫刻も芸術性の無い、困った作品なのです。

その中から一つ芸術分析をしておきます。

浜田知明.jpg

 

浜田知明 芋虫の兵隊(A) 1992-1995


彦坂尚嘉責任による芸術分析

《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》だけの表現。
液体だけの表現=近代美術

《気晴らしアート》。
《ローアート》。

シニフィアンの表現。
原始脳の表現。

《原始立体》『人形であって彫刻ではない』【B級美術】

《原彫刻》《彫刻》《反彫刻》が無い。

《非彫刻》《無彫刻》《世間体彫刻》が有る。

《形骸》《炎上》《崩壊》は無い。

大衆の芸術である。

作品空間の意識の大きさが《国家》である。

鑑賞構造があって、それは《対話》である。

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戦後美術の良心とも言うべきアーティストが浜田知明なのだが、彦坂尚嘉の「キチガイ美術批評」の目から見ると、芸術に対する驚くほどの脆弱さを示しているアーティストであると言うことになります。


それでも、初期の傑作「初年兵哀歌シリーズ15点」は、名作として一見の値打ちはあるものなのです。そしてまた、トータルに芸術そのものを追う事が、日本ではいかに出来ないかを見る反面教師としても重要なサンプルです。ぜひ,この機会に浜田知明を見に、葉山の近代美術館まで行って下さい。葉山の神奈川県立近代美術館の建築は、《第1次元 社会的理性領域》のもので、美しいです。《1流》の建築の美しい良さも合わせて味わって下さい。


 


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