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200次元と麻生三郎の最晩年 [アート論]

人間は、自然として生まれます。
赤ちゃんは自然存在であって、それは彦坂尚嘉の『アートの格付け』では《第6次元 自然領域》の存在なのです。

つまり《第6次元 自然領域》というのが、この大宇宙を含めて存在していて、
ここがすべての基準であるのです。
その意味で、美術もまた《第6次元 自然領域》だけの作品は、
すべての基準であって、大切であると言えます。

しかしそれはあまりに普通であるのです。
《第6次元 自然領域》の食べ物というのは、自然ですから料理というものではありません。
日本の料理で、おいしいというのは《第1次元 社会的理性領域》のお料理です。
これは現在でも普通に日本のおいしい料理は、基準として《第1次元 社会的理性領域》の料理を、
おいしいと言います。

美術も本当は《第1次元 社会的理性領域》の美術が基準であって、これが文明の美術の基本です。
例えばエジプトの壁画には、《原-芸術》《芸術》があって、《第1次元 社会的理性領域》の美術であって、すばらしいものです。文明の基準はこの《第1次元 社会的理性領域》の美術である事は、今日でも変わらないのです。

例えば音楽でも、ジャネットジャクソンの音楽は《第1次元 社会的理性領域》の音楽で、しかも《原-芸術》があります。つまりこういう《第1次元 社会的理性領域》の表現は、それほどむずかしい内容ではないのです。

ところが今日の日本の現代アートというのは、ほとんどが《第6次元 自然領域》で、しかも《原-デザイン》です。つまりアートの顔をしているのですが、実は本質はデザインであって、しかも《第6次元 自然領域》という野蛮な美術なのです。野蛮人のデザインであるというのが、今日の日本美術であって、しかもそれしか無いと言うほどに均質化しているのです。異常な状態と言えます。日本社会が野蛮に退化して、思考不全に陥ってきているのです。日本の没落の兆候なのでしょうか。

そういう中にあって、《超次元》から《第200次元》までの幅広い美術作品をつくったのが、麻生三郎の晩年でした。1990年代の作品です。

麻生三郎の作品は、画像で見ると良くなくて、自己憐憫性のあるセンチメンタルなものです。
画像と実際が大きく違います。

とは言っても

51次元から100次元/ノトケの死の舞踏(加筆1) [アート論]

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51次元から100次元の美術というのがあります。
これをさかのぼって行くと、中世の『死の舞踏』に至りつきます。

バーント・ノトケ( 1508年/1509年)は、ドイツの画家・彫刻家です。
この人の『死の舞踏』を見てみましょう。

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『アートの格付け』

彦坂尚嘉責任による[ノトケの死の舞踏]の芸術分析


《想像界》の眼で《第51次元〜第100次元》のデザインエンターテイメント
《象徴界》の眼で《第51次元〜第100次元》のデザインエンターテイメント
《現実界》の眼で《第51次元〜第100次元》のデザインエンターテイメント


《想像界》だけの表現。
固体だけの表現。


《気晴らしアート》
《ローアート》
シニフィエの表現。
原始脳の表現


《原始平面》 ペンキ絵【B級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》は無い。

《世間体のアート》はある。

《形骸》《炎上》《崩壊》は無い。


《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原デザイン》《原シンボル》の概念梯子が有る。

大衆美術である。

作品空間の意識の大きさが《村》である。
鑑賞構造が無い。イラストである。
情報量が50である。

死の舞踏というテーマ性もさることながら、
大衆美術である事の方が大きく存在しているように思えます。
つまり非常に直裁で、直接的な表現になっているし、
何よりもイメージ絵画であるのです。

これには、今の日本の現代アートと同様に《原-芸術》性がありません。
つまり芸術作品ではないのですが、そういう美術が跋扈する時代は
過去にもあったのです。
こういうものが、今日の骸骨の装身具や装飾物へと流れてくるのです。
つまり大衆芸術の源流は、とりあえずは、中世にあったと言えます。
実際は、もっとさかのぼれると思うのですが。

タグ:死の舞踏

工藤哲己 [アート論]

返信をありがとうございます。

そうでしたか。鋸山のレリーフの製作現場の(吉岡氏撮影による)記録映画は、ウナックサロンから出ているビデオを、加藤力君から学生の終わりがけの頃にダビングさせてもらい、私も見ています。では、あの、映像の中で工藤さんにつっかかるように話していた若者群像の一人に、もしかしたら彦坂さんもいらっしゃったのかもしれないのですね。しかし、私はもしかしたらそうなんじゃないか、という気もなんとなくしていました。

75年のパリでの会食の風景は、目に浮かびます。私の体験とも重なるということもあり、立体的映像的に想像ができます。そうですね。工藤さんとは、そういうお茶目なしかけをよくする人だったと思います。が、入口は似ていたとしても、私の場合は、そのようなあっさりした付き合いで終わる性質のものではなかったように、振り返り思います。

実際に生身で接した期間は、私が芸大大学院・工藤研究室在籍中の89〜90年の2年間と,ごく短いにも関わらず、工藤さんの存在は私の中で、その後も長く尾を引きました。また、タイミングということもあります。

普通に言えば、私は大学を出て人生の本格的な門出をするべき次期。90年11月12日、その日は現在の天皇の即位の礼の日だったようです。私はそれほど興味がなく、文京区千駄木のアパートでテレビ映像を通して、ああ今日がそうなんだ位の気分で漫然と過ごしていました、その日の夜に研究室の助手から「豪、ごめん、工藤さん亡くなったよ。」との電話を受けた。助手が第一声、私に謝罪したのは、大学院の2年次に入ってからというもの、工藤さんが入院し病気療養中のため大学にはしばらく来れないとの情報を教官室からは得るのみで、続報もぱったり無く、その期間がけっこう長く続いたので、不審に思った研究室第2期生である私と、第3期生だった福士朋子さんが一緒に教官室に度々問い合わせに行ったということがありました。その折に助手からは「大丈夫、大丈夫。病気はそんなに大したことないらしいよ。」という返事しかもらえませんでした。しかし助手がなにも義務を怠ったということではおそらくなく、おそらく助手も、詳しい情報を工藤さん側から遮断されていたのではないかと私は推測します。しかし私は勘で、きっとそういうことではない筈だ・・と、感じるものが自分の中にあったからこそ、度々問い合わせに行ったのだと思います。

工藤さん没後、ウナックサロンからの依頼により、そこで定期刊行している小冊子において、研究室在籍1〜3回生の全9人に、作家工藤哲巳が大学での教師としてどうあったのかを、各人文章で証言して欲しいという依頼がきました。ほぼ全員がこの依頼に応えた中、私のみが、これには返答しませんでした。
後日、大学の帰り路にばったり会った、学部4年時の担任だった榎倉康二さんから、件の小冊子について問われ、書かなかった私に、「わざとか?」と、若干の笑みを含んでしかし真面目な口調で言われた記憶が今でも残っています。確かに、わざとかもしれないし、正直書けなかったから、かもしれません。
しかし、義務は勿論感じます。それこそ、今この彦坂さんのブログの他のコメント欄で議論されている、というよりは彦坂さんがほとんど単独で提起なさっている、公の問題ですね。思えば、工藤哲巳という美術作家の最後は、あまりにも不明瞭です。美術作家が公人であるという問題と、もう一つは芸大は勿論国立であるので、芸大創立120周年の記念事業の一部として、新たに創設された大学院第8研究室に誰を招聘するか?となされた議論の中で(その議論は、日本の黄金のバブル期のまさにピークの季節になされた筈です)、このさい刺激剤を注入しようとの意見の一致により、工藤哲巳が選ばれた、と聞いています。岡本太郎の名前も、その前には上がっていたとも。その第8研究室は現在、先端芸術学部を新たに創設する際の、予算の工面の必要の一部として消滅したと聞いています。空間が消えることに対し、私はあまり何も思わないのですが、歴史,その意味が問われず、黒塗りの状態のままにあることを私は望むものではありません。彦坂さんのブログを拝読していて、彦坂さんの歴史というものに対する真摯な態度を私は信頼するに値するものと、感じるに至りました。作家・工藤哲巳についての真摯な議論に、是非参加させてもらいたいと私は思っています。

私の側から提起可能なのは、72、73年頃に連作された『芸術家の肖像』あるいは『危機の中の芸術家の肖像』と題名が冠されたシリーズを、とりあえず俎上の中心に乗せてみてはどうかということです。彦坂さんの、工藤作品は6流のイラストであるという観点でまず、ずばっと切ってしまえば、いい意味での省略した議論が可能かとも思います。(立体ですが)そこに描かれているのは、鳥籠の中で年老いた芸術家が半ばより目になって筆で何かに綺麗な色を塗っている。よく見ればそれは糞便である、といったような情景。人間疎外論的な図式をできるだけ分かりやすくイラストで提示している作品。われわれ芸術家はまさに「世界をよくする」つまり「良い作品」を作り経済活動に奉仕する為だけに大きな全体のシステムに飼われた存在であると。そのようなアイロニー表現が出てくるのは、勿論、そうではない筈だという作家の本心背後にあるからです。

たとえば、このような導入ではどうでしょうか?
もしこれにコメントを彦坂さんが還してくだされば、(工藤さんから私が直接投げられた言葉の証言も交えて)、私もそれに答えていくことができます。

文章遡りますが、タイミング、ということでもう一つ。村上隆氏は科は違い,学年も2年ほど先輩でしたが、当時の学生であった私の視界には何かを始めようとしている姿として既に入っていました。

私は作家の会田誠、小沢剛と芸大油絵科で同級であり、私は彼らその他数名を束ねて,学内で『白黒』という同人誌を主宰していました。会田誠は主に漫画、また、トイレ覗きの実体験(=本人の話によると、逮捕歴もあるそうです)を短歌に詠んだものや女装写真などを、私は小説や宣言文など、また小沢剛の地蔵建立の写真のシリーズも、この『白黒』という同人誌に掲載するところから始まっています。紙代・インク代を自分達持ちの約束で、大学の印刷機を使わせてもらっていましたので、顧問という形に、榎倉さんになってもらい、その他いろいろと迷惑もかけ、たいへんお世話になりました。

このメンバーで学内展示も開催し、タイトルが『団結小屋』(私がのちの95年に参加した世田谷美術館での長谷川祐子氏・企画『デ・ジェンダリズム』展のカタログの英文履歴欄には"Unity in a Hut"としてもらっています。)

この『団結小屋』展を見た榎倉さんが「お前らいいよ、このメンバーでやれよ」とわれわれを強く後押ししてくれ、工藤さんも剣菱を二本携えて初日に来てくれるなど、われわれは皆たぶんそのようなまわりの反応に気をよくしていたのですが、結局私の卒業式の日の宣言により、このグループは解散しました。この切断の意味を、今でも考えています。すべては切断の中にある,そのような気がしているのです。

90年〜91年。私たちの、その地点での表現者としてのスタンスは、一体どのようなものだったのかを考えます。言葉にすれば、一体「何」によってわれわれは群れとしてかろうじて繋がっていたのか?と。今分かるのは、その「」に当てはまるのは「アイロニー」ではないかと思います。
題名『団結小屋』とは、勿論アイロニーでした。たしか、会田の作品集の中に、この時皆で作ったポスターの写真が載っていたと思います。私が中央に団結小屋と毛筆し、他のみながその回りにイラストを寄せ書きのように配置しました。鉄塔の先端に、小屋がついているような、漫画です。幼児に、カラーテレビで見たニュース映像のイメージが(モノクロのサインペンにより)ここでは再現しているのです。われわれは高級な芸術の意味なども分からず、ただそういうものが既に失効したという空気だけを「読ん」で、あるかどうかも分からない架空の「本物」を上から、または下から?眺め下ろしせせら笑うことで、過去の歴史の優位に立とうとしていたのではないのだろうか。彦坂さんは、そのような現代の態度のありかた全体を称して、婆娑羅と呼んだのではないかと私は考えています。これについても、今後さらに考えていきたいと思っていますので、意見交換させていただければ幸いです。

by 彦坂様 (2010-12-20 22:04)  

加藤豪

上の文、敬称を略して送信してしまい、失礼しました。
(自分の名前欄に、間違って書いてしまっていました。) 
by 加藤豪 (2010-12-20 22:13)  


絶望と確信/アートビジネスとサヴバイバル(加筆2校正2) [アート論]

作品の善し悪しというのはあって、それは比較で分かるものです。1人の作品だけを見ていては分からないのです。


門井糸崎.jpg
6次元             超次元

つまり平凡な風景を撮った芸術写真というものにも、実はいろいろなものがあるのです。この差を見て行かないと面白くない。あるいは作品を買うおもしろみや、ダイナミズムは現れないのです。
 

今回のオークションでは、糸崎公朗さんの反反写真と、ある日本の作家と比較して、問題になり、検閲削除事件になりました。問題になる事は予想していて、一応糸崎さんの友人関係の人は外す配慮を私はしたつもりだったのですが、それが私の知らない所で友人関係だったのです。だから問題はこじれました。この事自体は小さな、取るに足らない事件ですが、しかしその裏には、日本のアート界のどうしようもない小ささが潜んでいるのです。

アート関係の人間空間が小さくて、《群れ》や《村》の中の心理状態になっている。

生きている意識の空間が小さい人の作品は、同じように作品空間が小さいのですが、同時に心理世界もまた小さいのです。特に彦坂は《群れ》といっている意識空間に属している人は、実は原始共同体に意識の中で生きています。人間関係が20人から120人程度の《群れ》の中に閉じられているのです。原始共同体の意識ですので、それは想像界であり、呪術的な意識の世界なのです。

こういう生き方を、私は悪いとは思いません。しかし私自身とは、いろいろなところで齟齬をきたし、人間関係をゆがめる結果になります。

《群れ》の意識の人々のそこでは美術や芸術の学問的な普遍性を追いかける意識が無いのです。本当の意味で、すぐれた芸術を作って行こうという切磋琢磨がないのです。そして作品を売る事の原理的把握もまた、ほとんど考えられていない。
 

作品を売るというのは、市場空間です。
市場というのは、国家(近代国家のことを国民国家と言います)の規模の大きな意識空間でないと成立しないのです。
つまり《群れ》や《村》のなかには、市場というものはないので、作品を売るという事は成立しないのです。

つまり美術作品の売買というのは、最低でも近代国家という広い意識空間の人でないと成立しないのです。そして今日ではグローバルなより大きな空間意識のなかでしか成立しないのです。ということは、実は作品の制作も、今日の芸術の追求も、実は最低でも近代国会の大きな意識空間が必要であり、さらにはグローバルな意識の空間の大きさが必要なのです。

日本の写真界や美術界というのは、《村》化していて、世間体の縛りを形成しているようです。
つまり日展のような既成の団体展の外に出ているアーティストでも、団体展と同じような小さな付き合いの集団を形成していて、その中での安定した人間関係を大切にしているのです。もちろん、人間が具体的に生きていくうえで、こうした小集団を形成する事は当然な事ではあります。

しかし、こうした中での芸術写真としての風景写真というのは、市場には、一部の例外の作家しか登場していない。それは《村》、あるいは《島》という小さな空間意識と、こうしたアート界の世間体の縛りが、若いアーティストに才能を縮こまらせて行くからです。若い時の超一流の作品は、見る見るうちに6次元や、8次元に転落させてしまって、低空飛行を続けるだけにするのです。つまり《群れ》や《村》の世間体の意識が才能を殺してしまうのです。今日の新しい表現を獲得するためには空間の拡大が必要です。しかしそれができない。
 

日本の文化空間が小さくしか形成されない事の大きな原因は、日本の社会の中に、1940年代の国家総動員体制での言論統制の構造が、戦後も継続してしまった事があります。

 この事実については野口悠紀雄氏が、名著『1940年体制』の中で書いています。
 
 
 日本の新聞の美術欄では批判が書かれない傾向が非常に強いのです。それは欧米の新聞の果敢な批判活動とは大きく違います。
 
 
 日本の場合、さらに敗戦後の進駐軍による言論統制が行われました。マッカーサーは、日本の思想を解体するために検閲を実施して、しかもこの検閲の事実すらを報道する事を禁止したのです。そのシステムは、日本の現在にまで作動し続けているのです。
 
これについては文芸評論家の江藤淳氏が『自由と禁忌』など、数冊のアメリカ秘密文書の公開を研究した著作で書いています。
 
 
こうした2重の検閲制度の構造を日本の文化は残して継続しているために、日本には言論の自由も、批評の自由も十分ではないという、衰弱した文化構造になってしまったのです。日本の現代美術/現代アートが、欧米のみならず、アジアの諸国の中でもとりわけ弱い事には、こうした言論統制の2重苦のシステムが、アーティストの内部深くまでに組み込まれている事があります。そのことが《群れ》や《村》という小さな意識空間を作り出す原因と言えます。広い意識が、言論の自由や批評の自由抜きには形成できないからです。
 

アーティストの内部深くまでに組み込まれている日本のこうした批評や批判を許さない言論封殺の構造は、今後1000年くらいは続くのではないでしょうか。
 
批評なき世界、提灯記事だけの世界で、日本は停滞しつづけ眠り続けるのでしょう。日本の現代アートの作品を批評する事は、もはや意味はないのです。

日展や団体展の作品を批評してもはじまらないのと同様に、同じような世間体アート化した現代アートの美術界を批評することは、意味が無いのでしょう。なぜなら、ここには最初から《原-芸術》の位相が無いからです。つまり日本の美術制度の衰弱を脱する方法は、私の主観の中ではもはや無いという断念にたっしました。
 

 

ですから、このブログでは日本の現代作家に対する批評行為はあきらめて、日本の古典と、海外の作家の紹介や分析に重点を移そうと思います。

1990年代の小山登美夫ギャラリーを代表とする新しいギャラリー群が、日本国内の失われた10年という低迷に見切りをつけて海外に脱出して行ったように、日本の作家や美術批評もまた、日本文化には見切りを付けて、海外の高度な作品批評と、そしてまた日本の過去の名品の発掘に脱出して行くしか無いのだろうと思います。

日本の過去に脱出しようとする行為は、実は江戸時代にもあって、本居宣長を代表とする国学の流れは、中国文化の亜流と化した江戸文化に愛想をつかして、古事記や万葉集の研究に脱出して成果を上げたのです。

いつの時代には、日本人はコンテンポラリーな日本文化に絶望するのかもしれません。

しかし絶望しても、この現実から脱出する事は出来るのです。事実を事実として認めて、自由に向けて脱出すること。

 
 
 
 
 
 


芸術分析の食い違いの問題と、糸崎写真の虚偽性について(改題2大幅加筆1) [アート論]

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狩野恵輔さんから、前の門井幸子さんの作品との食い違いのご指摘を受けた。前の分析を確認しないで書いたのだが、しかし今回門井さんの作品をもう一度分析をしなければ気が済まなかったもやもやとした納得のいかなさがあったのだが、芸術分析の食い違いは、それは符号する。門井幸子さんは変化したのではないのか? とにかく、まず、コメントを読んでみてください。


コメント 2

以前、彦坂さん自身が分析した門井幸子さんの批評と食い違っていますが。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/index/283

前回否定的なコメントを書きましたが、基本的に僕は彦坂さんの批評を肯定的に読んで来ました。第一回のブログから今日まで絶えず読み続けています。というのも、僕の判断と彦坂さんの批評が概ね一致するからです。僕の感じる良いという部分を言葉に変換してくれる彦坂さんの批評は僕の頭の整理に非常に役立ってきました。わずかにずれる部分はむしろ僕に向かって疑いを投げかけ、修正していたほどです。
ところが、糸崎さんの写真から僕の中で疑問が生まれています。僕の眼からすると、糸崎さんの写真は良くないのです。本人が発言しているのを受けているという事実は否定しませんが、しかし、それを除いても僕には単なる”なぞらえ”にしか見えないのです。彼の写真の奥にある、隠し難い素人臭さが目につくのです。単に形だけを真似していることが写真に表れています。形さえ真似すれば良いのだろうという小さながら開き直りのような、あるいは自分自身は作品とは無関係に存在し、セオリーどおりに作ることを密かに笑っているような、そうした軽薄さが作品に出ているのです。僕にはむしろ彼の写真は形骸化しているように見えます。そのことが彦坂さんには見えないのだろうか、または見えた上でそれでも彼の作品を評価するのか、そのあたりを聞かせていただけたらと思います。 
by 狩野恵輔 (2010-12-20 10:29)  



狩野恵輔様

食い違いのご指摘ありがとうございます。
そちらは自分でも興味深いので、ブログに一本たてて取り上げてみます。

糸崎さんのことは、そこで答えられるかどうかは、今わかりませんが、
考えてみます。 
by ヒコ (2010-12-20 11:20)  

芸術分析の食い違いの問題


彦坂尚嘉の芸術分析の基盤にあるのは、ヤーコブ・ローゼンバーグの芸術の質の比較分析の研究です。これを読んでから20年以上、いろいろと分析をやってきています。立教大学大学院の授業でも今期、1度だけですがヤーコブ・ローゼンバーグの本にある2つの画像を見せて、学生に判断を出させました。

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レンブラント2.jpg

この2枚の作品を比較して、どちらが良い作品であるかという比較分析なのです。2枚を並べてみます。

レンブラントの比較.jpg

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2枚あるのは、左右で見え方が違うので、右左を置き換えたもので2枚作ったのです。この場合、一枚のドローイングがレンブラントの描いたものです。もう一枚が、レンブラントの弟子が模写したドローイングです。

こういう類似したデッサンを、いくつも見せて、どちらがすぐれているのか? という試験をやったのですが、学生たちは、きわめて憂鬱な顔になりました、違いがデリケートなのと、自分があまりにも間違えるからです。

さて、そういう風に、比較はきわめてデリケートです。
答えは、やや汚れの無い大きくい作品の方が、弟子の描いたものです。

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弟子=6次元            レンブラント=超次元


今回の門井幸子さんの作品の場合にも、私が前に書いたブログの写真は、今見ても《超一流》の真性の芸術なのです。

そして今回の、門井さんのホームページから撮ってきた写真画像は、《6次元》のデザインエンターテイメントなのです。

まず、昔のブログで超一流と分析している写真です。この段階では、本の出版はされていません。


門井幸子超一流.jpg
超次元の作品



下は、今回の私の新しい芸術分析につかった写真です。門井幸子さんの本の出版後のホームページから取ってきたものです。


門井幸子6流.jpg
6次元の作品

これを2枚並べてみます。

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超次元             6次元


写真の下部の自動車のタイヤの後にたまった水の部分を比較すると、6次元の写真の方が、やや濃くて、くっきりと目立つようになっています。逆行の山の部分も、言葉で言うのはむずかしいですが差異があります。同じネガの写真ですが、紙焼きが違うものである可能性があると私の主観では推量します。事実は知りませんので、それ以上の判断は言語判定法の範囲を超えてしまいます。

言語判定法だけで真実や事実が分かるものではありません。人間の判断には、イメージ判定法、現実判定法(科学的判定法)、そして言語判定法という3つが必要なのです。正確に事実をとらえるのには、3つをすべて使ってみる必要があります。

しかしそうすると、調査にはかなりの時間と手間がかかります。私が提出しているのは、彦坂尚嘉の主観が判断する言語判定法による判断だけです。これはあくまでも彦坂尚嘉という個人の主観が示す判断であって、それ以上のものではありません。

念の為に左右を入れ替えてみます。

門井幸子比較2.jpg

6次元                超次元

こういう微細な差異を、想像界の眼で見分ける事は、ほぼ出来ないはずです。10人中8人の人は,想像界だけの人格で、想像界だけの目で外部を見ています。想像界の人の目は、かなり鈍いものなのです。

人間精神の象徴界を使った言語判定法は、きわめて微細な差異を識別します。

門井幸子さんは、写真集の出版は2008年11月28日の日付になっています。私が見たマキイマサルファインアーツのグループ展『Layered Landscape』は、2008年6月-7月になっています。ですから普通に考えれば、この数ヶ月間の短時間に超一流の写真が6次元に落ちるはずはないと考えられるものです。しかし実際には、精神の変化は短時間に起きるものです。

もっとも、現在のホームページにアップされている写真と、本の写真と、マキイマサルファインアーツに展示された写真で、焼きが変わっていないのか? が、事実としては分かりません。

あるいは、単にブラウン管に見えるネット上で起きる差異なのか? いろいろの理由は考えられます。

現在の時点で、私の立場でいえることは、私の2つのブログで掲載されている2枚の写真は、現在でも超次元に見えるものと、6次元に見えるものの、2種類がある、という事です。

それを、私自身の門井幸子さんに会って話したり個展を見たりしている実感ですと、最初に会った時点と、本を出版してからとは、違ったという印象です。人間が変わったのです。本を出して、反響があったことで、彼女は変わったのではないか? そして写真も変わったのではないか? それが私の中で不可解な謎を生んで、芸術分析を繰り返していかなければならない違和感を生んだように私には思えます。

作家が変貌する例は、いくつもあります。
作家は変わるものなのです。

さて、以上が、門井幸子さんの作品に関する芸術分析の食い違いの問題で、今、私の書けることです。

糸崎写真の虚偽性について


もう一つの糸崎さんの作品に対する疑問ですが、疑問をもたれる事自体は、当然であると思います。

プリンスなどのシュミレーショニストの場合でも、必ずしも本人が作品を理解していなくて、後半崩れてきています。

糸崎公朗さん自身は、大衆芸術の作家であって、今、ご自分で制作した
「反ー反写真」シリーズは、あくまでも方法論と技術で制作しているものです。本人自身が、作品の良さを実感し、理解しているものではありません。

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糸崎さんの写真を疑う事はできるし、むしろ当然のことであると言えます。

しかし、私は逆に、今の糸崎さんの状態こそが、普遍的に作家の制作に現れている事のように思えるのです。つまり自分の実感の外で、方法論と技術で制作する事が、芸術制作であると思えるのです。そのように考えないと、ゴッホの場合にも、6年間くらいで8次元の凡庸な田舎作家が、急速に成長変貌して、超次元の作品を作り出すようになったのか? さらにゴーギャンのとの離別後の狂気と、それによる作品の水準の大崩壊が起きたのかが説明出来ません。

制作という技術と方法の問題としても、糸崎さんの作品は興味深いものなのです。

さて、ご指摘の、「単なる”なぞらえ”にしか見えない」部分はあります。しかしこの”なぞらえ”というのは、セザンヌの絵画にもあります。セザンヌの作品というのは、実はピサロをなぞって変貌して、できるのです。ピサロとセザンヌの関係を詳細に追った美術展は、ピサロの孫がキュレターで組織しています。

糸崎さんの「写真の奥にある、隠し難い素人臭さ」というのも、セザンヌの絵画にも、マティスの絵画にも、クレーの作品にもが目につくのです。だから、狩野恵輔さんのその判断は逆ではないのでしょうか。

単に形だけを真似していることが写真に表れています」というご判断も正しいとは思いますが、この評価も逆で、単に形だけを真似する事がすぐれた芸術の本質ではないでしょうか。それはセザンヌでも、ゴッホでも、その急速な学習と変貌を丁寧に見ていくと見えるものです。

ピカソのキュビズムの時期の9年間のレゾネが出版されていますが、それを見ていても、単に形だけを真似している」ことが生み出す創造性のすごさと、面白さ、そして空虚さが見えるものです。

形さえ真似すれば良いのだろうという小さながら開き直りのような、あるいは自分自身は作品とは無関係に存在し、セオリーどおりに作ることを密かに笑っているような、そうした軽薄さが作品に出ているのです」というご指摘も、同感です。が、しかし、そうではないものも出ています。街歩きの写真がもっている糸崎さんの空間把握の大きさや、微細なものをとらえる繊細さは傑出したものであって、その糸崎公朗表現の真実と、シュミレーショニズムの文化的な模倣性の形骸性が、2重映しになっていると、私には見えます。

僕にはむしろ彼の写真は形骸化しているように見えます」というご指摘も、同感です。特に、このような風景写真の形式は、芸術写真の何重にも繰り返されてきた模倣の連鎖が生み出している、風化し形骸化したものなのです。その形骸化を意識的になぞることで出現する糸崎写真の真実が、面白いのです。タランティーノの映画『キル・ビル』に見られるような虚実紙一重の世界の面白さなのです。形骸化した芸術風風景写真の虚偽の中に、糸崎さんの真実が、きらきらと、写真の隙間から見えるのです。

こうした面白さも、3年以内に、本質的な形骸化に見舞われます。ですから2年くらいで、写真集にまとめられないかと思います。がんばって欲しいものです。






タグ:門井幸子

門井幸子氏の写真再論 [アート論]

すでに書いているように、私は門井幸子氏の写真集を買っています。
個展も見ています。

そこで芸術分析をします。

しかし、すでにこのグログで私の記述が検閲と削除にあっているので、検閲する今日の権力者=大衆の目をかいくぐるためにも、大衆諸兄に分かるように書く事は止めにします。専門的な記述だけにしておきます。ですので、大衆諸兄には読み取れないものになっていますが、お許しください。

芸術分析そのものは、あくまでも専門家のためのものであって、一般大衆のためのものではありません。私も保身のために、専門用語だけの記述になっているとご了解ください。

さて、門井の写真を最初に見たのは、マキイマサルファインアーツでの山の写真でした。

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門井幸子の写真で、一番魅力的なのは、これら山の写真であったのですが、これは実は「ユメノシマ」vol.2 眠りにつくとき』という写真で、砂利の山か、ゴミの山かくわしくは知りませんが、それが自然の山のように見える所が私には面白かったのです。その錯視はしかし、必ずしも門井の目指すものではなかったように思います。

彦坂流の言語判定法での芸術分析は次のようになります。

彦坂尚嘉責任による[門井幸子の「ユメノシマ」vol.2 眠りにつくとき]の芸術分析


《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント


《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。

ただし《サントーム》は無い。


気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。
ただし《プラズマ》化はない。


シリアス・アート》である。ただし《気晴らしアート》性が無い。
《ハイアート》である。ただし《ローアート》性が無い。
シニフィアンの表現である。ただしシニフィエ性が無い。
理性脳の表現である。ただしと原始脳性が無い。

《原始平面》 ペンキ絵のような写真。【B級美術


《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が無い。
ただし《世間体芸術写真》はある。
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《原-大衆芸術》はある。しかし《大衆芸術》《反-大衆芸術》《非-大衆芸術》《無-大衆芸術》という概念梯子は無い。
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《原イラストレーション》《原デザイン》《原シンボル》の概念梯子は無い。
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大衆芸術性がある。が、貴族芸術性は無い。
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作品空間の意識の大きさが《近代国家》である。

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鑑賞構造が無い。
写真としては《記録》である。

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情報量が50である。

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芸術分析をして、あらためて納得したのは、門井幸子の写真が、《原-大衆芸術》性のある世間体アート=《世間体芸術写真》であるという事です。

この場合、《原-大衆芸術》性があるにもかかわらず、。しかし《大衆芸術》《反-大衆芸術》《非-大衆芸術》《無-大衆芸術》という概念梯子は無いというところが、みそなのです。そして
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が無いにもかかわらず、世間体アート=《世間体芸術写真》性だけがあるのです。この二つの結論がショートして成立しているのです。

詳細な分析で、はじめてこのようなサーカスのような構造で、しかも最短で、今日の「芸術風写真」の組み立てができることが理解出来ます。

そのことと想像界/象徴界/現実界ともに6次元のデザインエンタテイメントであるということが重なって、気持ちのよい魅力を形ずくっています。

もう一つ重要なのは、鑑賞構造が無い事です。写真が《記録》として撮影されているのです。記録というのは、ある種の科学写真のようなもので、芸術構造は無いのです。

鑑賞構造が無い事で、きわめて現代的に社会に容認される写真であると言えます。



 


タグ:門井幸子
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