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万人のための芸術(加筆1画像多数追加動画2追加校正2) [アート論]

かなりの人物でも、こと美術や芸術になると、素人性をむき出しにする。

芸術としての美術と、デザインや工芸、そしてイラストとしての美術の
区別がつかないのです。

芸術を万人に理解してもらうのは、不可能だと思います。

この悩みをどう解決するのか。
このことを昨日も何人かと議論をしていたのですが、
一つの結論に到達しました。

つまり万人のための芸術というのは、
グリンバーグが言うように、不可能であるのです。
原理的に無理であるという事です。

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【加筆】

アーティストと、アルチザン(職人)の技術の違いというものがありますが、これが多くの日本人に分からないのです。

例えばシルクスクリーンを刷るときに、職人は、誰にもほめられるようにきれいに刷ります。つまりアルチザン(職人)というのは、万人に向かって制作しているのです。ですから芸術の名の下で、アルチザン(職人)がつくった作品は多くの人の賞賛をあびます。

シルクスクリーンの実例ではなくて、彫刻の例になってしまいますが、今日のアルチザン(職人)タイプのアーティストの代表は、なんと言っても小谷元彦氏です。

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彼の作品は、彦坂尚嘉の言語判定法での測定では、《原-芸術》や《原-彫刻》はなくて、《原-イラスト》や《原-工芸》性があるのです。小谷元彦氏の作品は芸術の名の下に作られた立体イラストであり、工芸作品でなのです。

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多様なメディアと手法をつかった小谷元彦氏の職人仕事は強いインパクトと謎めいた物語性とイメージがあって、しかも《超1流》で、日本の現代アートが6流で埋め尽くされている中できわめて傑出しています。

しかし芸術ではなくて、職人仕事なのです。だから万人のためのものだと言えます。だから多くの人が賞賛するのです。しかし多くの人が賞賛するが故にこそ、芸術ではないのです。

さて、話をシルクスクリーンの例に戻すと、前にも書いたりラジオでしゃべっている事ですが、アンディ・ウォーホルシルクの刷りは、ムラがあって汚いのです。

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万人は認めない、出来損ないの刷りなのです。こんな汚い刷りで良いのですか?と聞くと、作家であるアンディ・ウォーホルだけが、「これで良いのです」と答えるのです。つまり作家だけが良いと認めて責任をとる事の上に成立する技術が、芸術なのです。

実際に下記のプレスリーの作品は、汚いものなのです。万人を敵に回すからこそ、そこには芸術が出現するのです。

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繰り返すと、万人にわかる芸術というのは、
芸術の名の下に、デザインや、イラスト、工芸を作る事なのです。

つまり今日の芸術路線というのは、まさに、そういうものなのです。

そのことを認める必要が有ります。

大衆社会における芸術とは、
芸術の名のものに偽の芸術をつくることであり、
それが芸術の名の下にデザインを提示することなのです。
そういう意味で長谷川祐子氏の東京都現代美術館の『アートデザインの遺伝子を組み替える』展、そして『トランスフォーメンション』展の路線は、正しいと言えます。




しかし、もちろん、デザインはデザインに過ぎなくて、
いくら芸術の名の下に提示されても、それは偽物(にせもの)なのです。

偽物を本物と取り違えるのが、今日という時代なのです。

しかしどこまでいっても偽物(にせもの)は偽物(にせもの)です。

偽物(にせもの)の金も、本物の金も同じであるという名言をはいたのは、山本育夫氏でした。しかし偽物(にせもの)の金は、質屋に持っていけば、偽物(にせもの)とばれるのです。

だがしかし日本には、残念ながら芸術の質屋はないのです。
したがって、日本はデザインの国なのです。

また、多くの人に嫌われるでしょうが、アメリカの現代アートを、このブログでは見ていく努力を少ししようと思っています。少なくともアメリカの現代アート作品には、彦坂が好きな《原-芸術》があります。つまり見た目にはデザインであるかのようなアメリカ美術の作品には、《原-芸術》性があるのです。私は、このような芸術を日本に成立させる事が出来ないという事を、認めるようになってきています。日本の敗戦は大きかったのであり、江藤淳が指摘したように、日本の文化は虚偽になってしまったのです。マッカーサーの検閲システムがいかに優れていたのかが、今日の状況のなかでも、思い知らされる事態なのです。しかしこのような状況を嘆いてもはじまりません。このような負の状況をしたたかに自らの環境として直視する事が重要なのです。ともあれ、万人を説得する事は、芸術においては原理的にも不可能であるのです。それでもなお、万人を説得したければ、デザインを芸術の名の下で作る他ありません。そして押井守のように、万人を説得する事を断念することは、こういう状況の中では理性的な判断なのです。

第87回気体分子オークション【締め切り12/13(月)】 [気体分子オークション」]


ホラチュ・ラドゥレスクは、1942年ルーマに生まれの音楽家です。
ラドゥレスクの音楽には、昔の現代音楽とは違う次元性があります。

たとえばリゲティの音楽は超次元から50次元で作られているのに対して、
ラドゥレスクの音楽は、超次元から150次元までがあります。

第51次元から100次元というのは、どうやら、現実界の領域で、
101次元から150次元というのは、サントームの領域らしいと
いうことが、最近の私の研究ではわかってきています。

第87回気体分子オークション
【締め切り12/13(月)】


さて中川晋介さんの新作5点です。
以前の作品は、象徴界が8次元でしたが、それを克服して、
今回は第1次元になりました。




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No.87【101211_01】皮膜 ♯1



『アートの格付け』

彦坂尚嘉責任による[ 皮膜 ♯1  ]の芸術分析


《想像界》の眼で《超次元〜100次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元〜100次元》の《真性の芸術》


《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。ただし《サントーム》は無い。

気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。ただしプラズマではない。


《シリアス・アート》である。ただし《気晴らしアート》性は無い。
《ハイアート》である。ただし《ローアート》性は無い。
シニフィアンの表現である。ただしシニフィエ性は無い。
理性脳の表現である。ただし原始脳性は無い。

《透視画面》の表現である。ただし《原始平面》性は無い。
オプティカルイリュージョンの表現である。ただしペンキ絵性は無い。
【A級美術】の表現である。ただし【B級美術】性は無い。

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》はある。

《世間体のアート》は無い。

《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が有る。

《原大衆芸術》《原イラストレーション》《原デザイン》《原シンボル》の概念梯子が無い。

貴族美術である。ただし大衆美術性が無い。
作品空間の意識の大きさが《帝国》である。
《哀願》《対話》《驚愕》《瞑想》《信仰》の5つの鑑賞構造がある。
情報量が50である。





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No.87【101211_02】皮膜 ♯2








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No.87【101211_03】皮膜 ♯3







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No.87【101211_04】皮膜 ♯4







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No.87【101211_05】皮膜 ♯5









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No.87【101211_06】皮膜 ♯6



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