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エリザベス・コットンの奇跡 [アート論]

コンピューターの調子が良くなくて、
0Sの再インストールをしようと準備していてミスをして、
メールのデーターをすべて失ってしまいました。

メールも使えなくなったのですが、これはなんとかso-netに電話して、
サポートを受けて、使えるように回復しましたが、
データーはなくなりました。

改めて、コンピューターの難しさを思います。

Facebookもなかなかできなくて、これも難しさを思います。忙しすぎることが第一ですが、自分の中の人見知りする部分を改めて思います。広瀬さん、Facebookでの反応を間違えたら、消えてしまって、うまくいきませんでした。申し訳ありません。

フォークソングの授業を昨日立教でやったのですが、自分もそれなりには聞いてきて、その体験へのこだわりから授業の準備をしていくと、深みにはまっていきました。基本的には「芸術とはなにか?」と問いの問題で、下層というか、自然と、人間の道具を扱う技術の接点の原初の内側から成立してくる芸術の根源が見えてくるのです。生物的な身体性と、技術と、コミュニケーションの様々な関係の中から、真性の芸術が、今の私の格付けですと、超次元から120次元までの多層性で出現してくる。

久しぶりの猪狩さんからメールをいただいて、Elizabeth Cottenの存在を教えてもらいました。




彼女のギター演奏と歌にも、超一次元から120次元まであります。そうすると、このような多層性は自然との接点にある根源的なものであると考えられます。

エリザベス・コットンの演奏には、原芸術、芸術、反芸術、非芸術、無芸術、世間体アート、そして形骸、炎上、崩壊、という、私が今まで見つけてきた芸術の概念のはしごのすべてがあります。ということは、こうした概念梯子の全体性そのものが、原初性を持っている可能性があります。


前にも書いたと思いますが、美術で言うとアンリールソーにも、こうした超次元から120次元までの多様性があって、モダンペインティングの中で、全くの異質性を放っていたのですが、エリザベス・コットンと連動して考えると、超一次元から120次元というような多層性や概念梯子の全領域性と言ったものは、こうした人間の原表現領域にあると思われます。


ブルースの歴史の中で、ロバート・ジョンソンに突然に高度な芸術性が出現してきていることmにも、ギターの独自の高度な奏法がみられますが、このリザベス・コットンにも、高度な独自のギター奏法があって、こうしたことと、高尚な芸術の出現は深く関わっているのだろうと考えられます。




エリザベス・コットンの若い歌声をお聴きください。


 


ブルースの歴史や、フォークソングの歴史の中での黒人の天才ギタリストのこうした出現には、高尚な芸術の自然発生の奇跡の現場をかいま見せる神秘が存在します。


もしかすると画一的な文明社会性というのは、こうした全領域性を抑圧し疎外するものなのかもしれません。だからといって、放埒な自由主義が生むものは6次元の凡庸なものでもあるのです。自然と、道具と、それを扱う技術の天才的な飛躍性が、少なくとも高尚な芸術の多層性の出現には必要なのです。









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