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大発見 [アート論]

日本の社会が、実は社会主義社会であったというのは、
野口悠紀雄の『1940年体制―さらば戦時経済』という本でした。

太平洋戦争を遂行した日本の「革新官僚」たちというのは、
マルクスを読んでいた赤であって、日本のファシズム体制というのは、
社会主義であったというのです。
彼らは金持ちが強くなるのを危惧して、相続税などを重くして、
日本を総中流の社会にしようとした。

この方針は、敗戦でも変わる事無く続いて、その中心には1939年にナチスの銀行法をお手本にして作った銀行法が会って、これが戦後も作動し続けて、護送船団方式と呼ばれて、高度成長社会をつくりあげたというのです。

だとすれば、日本の美術というものも、社会主義美術の構造を持っているのですが、私はこのことに気がつかなくて来ました。なかなか物事を深く理解し分析するのはむずかしいのです。

気がつかなかった理由は、まずは、野口悠紀雄の『1940年体制』を読まない前は、日本社会が社会主義体制であったことを知らなかったので、あくまでも自由主義の美術の教養の中で育って来たということがあります。

もう一つは、私の芸術分析は、当初《第41次元》までしか視野に
入っていなくて、《41流》までしか見えなかったのです。
分析が進むと、《第41次元 戦争領域》というのは、実は《第50次元》まであるということが、分かって来ます。

その後、この次元というのが、Photoshopの使用と連動させられるのが経験の中で分かって来て、その極限を追いかけると、Photoshopの使用では100次元まではつくりだせるのですが、それ以上が、どうやってもできない事が分かります。つまり《第100次元》というのが限界なのです。

そういう実験での成果を背景にして、山本藍子氏の作品の個展をやったのを契機に、《第100次元》の具体的な作品を見いだします。

初め、この《第100次元》の出現は、音楽で追いかけるとマライヤキャリーなど、ソヴィエトが崩壊した1991年以降の音楽に見いだされるので、ソヴィエトの崩壊と強く連動した現象と考えられました。

しかし雅楽に《第100次元》まである音楽を見つけて、さらにヨーロッパの中世音楽に同様のものを見つけました。こういう中世の発見で、実は《近代》以前は、《超次元》から《第100次元》までの全領域があったのが、《近代》になると、《超次元》から《50次元》までの自由主義世界のアヴァンギャルド芸術と、《51次元》から《第100次元》までの社会主義リアリズム=キッチュ芸術との、2つの分裂したという構造が理解できました。

つまり《近代》というのは、世界を2つに割った東西冷戦構造であり、この2つに分裂させるやり方は、グリンバーグの『アヴァンギャルドとキッチュ』という論文の指摘通りに、実は文化そのものの構造が分裂させられていた事であったのです。

ここまで分析や理論が進んでも、まだしかし、日本の戦後美術が社会主義リアリズムと同一の構造をしていることに気がつきませんでした。

さきに分かったのは、上村松園展を見て戦前の日本画を見直すと、たとえば横山大観の「屈原」などには《超次元》から《第100次元》までの全領域が見いだされた事です。つまり《近代》という時代が、2つに分裂した時代であると定義されるとすると、日本の日本画は、実は近代絵画にはなっていなくて、中世絵画の延長であったと言えることになります。

こういう認識を背景に、《近代》の終わった情報化社会では、自由主義と社会主義の合体が進んでいると考えました。具体例としては建築家のコールハースがいます。コールハースはニューヨークの自分のパフォーマンスの記録写真を、写真作品にしようとして、Photo
shopで加工して、《超次元》から《第100次元》までを持つ作品にしたのですが、それを何人かに見せたのですが、反応が極度に悪い。

そこで、より分かりやすくするために、《第6次元 自然領域》にまで落として、それを出力してみると、思ったよりも良かった。そこでさらに商業主義を押し進めようと考えて《第16次元》までに落として出力してみると、極めて分かりやすい作品になったのです。この時点で、私の肉体が反応を起こして、嫌になって、しばらくフリーズして、1日寝込む事になりました。

この段階で分かった事は、作品が極度に社会主義リアリズム化したのと、キッチュになっている事で、それに対する嫌悪感を、私の身体が極度に反応することでした。

新庄剛志(野球選手) 絵描きになる [状況と認識]

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新庄剛志さん 「絵描きになる」と言い残して南の島に消えた

NEWS ポストセブン 11月10日(水)10時5分配信

 日本シリーズの興奮冷めやらぬ中、かつてその舞台で躍動したあの名選手の意外すぎる近況が飛び込んできた。元北海道日本ハムファイターズの伊達男・新庄剛志(38)が、南の島に行ったまま長きにわたって姿を消しているというのだ。芸能関係者を中心に、その噂は瞬く間に駆け巡った。

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 ある芸能プロ関係者がいう。「どうやらただの旅行じゃないんです。新庄さん、周囲に“オレは絵描きになる”と言い残して消えてしまったらしい。その島の中でも、“絵描きが集まる村”“芸術の村”として有名な場所にいるらしい」

 2006年の引退以降、新庄は常人には予測できない“迷走”を続けていた。2007年には、長年連れ添ったタレントの大河内志保と離婚。タレント活動を続けながらも、地方競馬の馬主になったり、実業家を名乗ったり……。しかし今年5月、映画『僕たちのプレイボール』のエグゼクティブプロデューサーを務めて以降は、表舞台から遠ざかっていた。

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 その間、新庄が決意したのが「画家転身」だったのである。新庄に近しい別の芸能関係者がいう。

「新庄さんにとって、画家になるのは現役時代からの夢だったんです。引退以降、少しずつ絵を描きためはじめ、3年前には北海道や福岡で絵の個展を開いているほどです」とどうやら、その腕前も折り紙付き。

「彼はエアブラシという塗装スプレーで様々なテーマを描き分ける。個展を開いた当時は、自画像や車の絵などが中心でしたが、最近のテーマはもっぱら自然。彼自身が南国の風景にハマっていることもあり、半ば移住状態になっている。仕事のある時だけ帰国するという感じらしい。あれは相当マジですよ」(前出・芸能関係者)

「画家SHINJO」について詳しく聞こうと、事務所に尋ねると、海外に行っていることは認めたものの、詳細については「ノーコメント」と回答を避けた。

※週刊ポスト2010年11月19日号


タグ:新庄剛志

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