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門井幸子氏の写真再論 [アート論]

すでに書いているように、私は門井幸子氏の写真集を買っています。
個展も見ています。

そこで芸術分析をします。

しかし、すでにこのグログで私の記述が検閲と削除にあっているので、検閲する今日の権力者=大衆の目をかいくぐるためにも、大衆諸兄に分かるように書く事は止めにします。専門的な記述だけにしておきます。ですので、大衆諸兄には読み取れないものになっていますが、お許しください。

芸術分析そのものは、あくまでも専門家のためのものであって、一般大衆のためのものではありません。私も保身のために、専門用語だけの記述になっているとご了解ください。

さて、門井の写真を最初に見たのは、マキイマサルファインアーツでの山の写真でした。

07.jpg

top_2010_1.jpg

門井幸子の写真で、一番魅力的なのは、これら山の写真であったのですが、これは実は「ユメノシマ」vol.2 眠りにつくとき』という写真で、砂利の山か、ゴミの山かくわしくは知りませんが、それが自然の山のように見える所が私には面白かったのです。その錯視はしかし、必ずしも門井の目指すものではなかったように思います。

彦坂流の言語判定法での芸術分析は次のようになります。

彦坂尚嘉責任による[門井幸子の「ユメノシマ」vol.2 眠りにつくとき]の芸術分析


《想像界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元 自然領域》のデザインエンターテイメント


《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現。

ただし《サントーム》は無い。


気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。
ただし《プラズマ》化はない。


《シリアス・アート》である。ただし《気晴らしアート》性が無い。
《ハイアート》である。ただし《ローアート》性が無い。
シニフィアンの表現である。ただしシニフィエ性が無い。
理性脳の表現である。ただしと原始脳性が無い。

《原始平面》 ペンキ絵のような写真。【B級美術】


《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が無い。
ただし《世間体芸術写真》はある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《原-大衆芸術》はある。しかし《大衆芸術》《反-大衆芸術》《非-大衆芸術》《無-大衆芸術》という概念梯子は無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《原イラストレーション》《原デザイン》《原シンボル》の概念梯子は無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大衆芸術性がある。が、貴族芸術性は無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

作品空間の意識の大きさが《近代国家》である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鑑賞構造が無い。
写真としては《記録》である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

情報量が50である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

芸術分析をして、あらためて納得したのは、門井幸子の写真が、《原-大衆芸術》性のある世間体アート=《世間体芸術写真》であるという事です。

この場合、《原-大衆芸術》性があるにもかかわらず、。しかし《大衆芸術》《反-大衆芸術》《非-大衆芸術》《無-大衆芸術》という概念梯子は無いというところが、みそなのです。そして
《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《形骸》《炎上》《崩壊》の概念梯子が無いにもかかわらず、世間体アート=《世間体芸術写真》性だけがあるのです。この二つの結論がショートして成立しているのです。

詳細な分析で、はじめてこのようなサーカスのような構造で、しかも最短で、今日の「芸術風写真」の組み立てができることが理解出来ます。

そのことと想像界/象徴界/現実界ともに6次元のデザインエンタテイメントであるということが重なって、気持ちのよい魅力を形ずくっています。

もう一つ重要なのは、鑑賞構造が無い事です。写真が《記録》として撮影されているのです。記録というのは、ある種の科学写真のようなもので、芸術構造は無いのです。

鑑賞構造が無い事で、きわめて現代的に社会に容認される写真であると言えます。



 


タグ:門井幸子
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コメント 2

狩野恵輔

以前、彦坂さん自身が分析した門井幸子さんの批評と食い違っていますが。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/index/283

前回否定的なコメントを書きましたが、基本的に僕は彦坂さんの批評を肯定的に読んで来ました。第一回のブログから今日まで絶えず読み続けています。というのも、僕の判断と彦坂さんの批評が概ね一致するからです。僕の感じる良いという部分を言葉に変換してくれる彦坂さんの批評は僕の頭の整理に非常に役立ってきました。わずかにずれる部分はむしろ僕に向かって疑いを投げかけ、修正していたほどです。
ところが、糸崎さんの写真から僕の中で疑問が生まれています。僕の眼からすると、糸崎さんの写真は良くないのです。本人が発言しているのを受けているという事実は否定しませんが、しかし、それを除いても僕には単なる”なぞらえ”にしか見えないのです。彼の写真の奥にある、隠し難い素人臭さが目につくのです。単に形だけを真似していることが写真に表れています。形さえ真似すれば良いのだろうという小さながら開き直りのような、あるいは自分自身は作品とは無関係に存在し、セオリーどおりに作ることを密かに笑っているような、そうした軽薄さが作品に出ているのです。僕にはむしろ彼の写真は形骸化しているように見えます。そのことが彦坂さんには見えないのだろうか、または見えた上でそれでも彼の作品を評価するのか、そのあたりを聞かせていただけたらと思います。
by 狩野恵輔 (2010-12-20 10:29) 

ヒコ

狩野恵輔様

食い違いのご指摘ありがとうございます。
そちらは自分でも興味深いので、ブログに一本たてて取り上げてみます。

糸崎さんのことは、そこで答えられるかどうかは、今わかりませんが、
考えてみます。
by ヒコ (2010-12-20 11:20) 

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