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第90回気体分子オークション【締め切り12/20(月)】糸崎公朗「反ー反写真」個展♯3/(改題)(大幅加筆) [気体分子オークション」]

糸崎公朗「反ー反写真」個展♯3

第90回気体分子オークション
【締め切り12/20(月)】

前にも書きましたが、糸崎公朗さんのフォトモというお仕事は《大衆芸術》です。しかしこの気体分子オークションに出してくれている
「反ー反写真」シリーズは、《高尚な芸術》なのです。

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糸崎公朗 「反ー反写真」♯3
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《大衆芸術》というものと、《高尚な芸術》というものは、違うものなのです。

その違いを分かりやすく言うと、文学で言えば「直木賞」と「芥川賞」の違いです。

「直木賞」というのは想像界の文学で、読みやすいし、面白いのですが、エンターテイメントに過ぎなくて、読んでしまえばそれで終わりで、消費して終わってしまうのです。なぜかといえば、「直木賞」の文学は、ストーリーで出来ていて、ストーリーの直接的な面白さで、読者を魅了するのです。その時に重要なのは、読書している読書体験自体が直接性であって、それは刺激なのですが、消費行為であり、気晴らしであるという事です。ストーリーの刺激的な面白さで気晴らしは出来ますが、読書によって人格が成長し、向上するという事がありません。

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糸崎公朗 フォトモ

つまり糸崎さんのフォトモは、大変にすぐれている大衆芸術ではありますが、これは気晴らしであり、消費に過ぎなくて、糸崎さんのフォトモを見ても、人格的な向上は起きないのです。

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糸崎公朗 フォトモ

この場合、フォトモは文学ではなくて美術ですので、ストーリーの面白さではなくて、イメージの面白さなのです。イメージの直接性の刺激で、直に面白いと感受し、そしてその刺激を消費して終わるのです。イメージという単語を、イラストレーションと言い換えても良いのですが、立体イラストレーションの面白さがフォトモなのです。

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糸崎公朗 フォトモ

イラストレーションやイメージの面白さは、刺激ですので、エロ写真と同様に見るものをキャッチして魅了するのですが、しかし繰り返し見ていくと、刺激は反復によって力を失い、次第に退屈なものになっていきます。

それに対して《高尚な芸術》である「芥川賞」の文学作品は、読みにくくて、読むのに努力がいるし、面白くもないのですが、読書によって、読書をしている人間が、ある知的な体験として、読書を享受し、人格的な成長があるのです。この場合、《高尚な芸術》としての文学は、ストーリーではなくて、ストーリーの否定によって成立しているのです。それはストーリーの直接性を否定しながら、その外部にでるという反省性に依拠しているのです。ですから直接性ではなくて、間接性なのです。

糸崎1.jpg

101215_01.jpg

S-img095.jpg

そして、この気体分子オークションに出品してもらっている風景写真
「反ー反写真」シリーズは、
「芥川賞」のような《高尚な芸術》になっていて、糸崎さんは、どういう訳だか、《大衆芸術家》から、《高尚な芸術家》になってしまったのです。その写真は、イメージで成立しているのではなくて、イメージの否定であり、イメージの直接性の外部に出る事によって成立しています。ではイメージの外部とはなんなのでしょうか。その一つは、《非-実体》性です。つまりフォトモでは、《実体》的であるのに、
「反ー反写真」では
《非-実体》的であるのです。

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《非-実体》的            《実体》的
高尚な芸術             大衆芸術
芸術           エンターテイメント

上の2つの写真を見比べてみれば、いかに《高尚な芸術》というものは地味で、つまらなく見えるかがわかります。ですから大衆には理解出来ないのです。大衆は直接に分かるものをもとめ、直接的な刺激としてのエンターテイメントを求めているのです。
 









タグ:糸崎公朗
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