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北朝鮮と韓国の戦争(加筆2) [状況と認識]







今日は原宿の大木裕之さんのところで、昨日に続いて出演者のパフォーマンスを見ていたのですが、その中に柳下毅一郎氏の「戦争と殺人について」のレクチャーがあったのですが、その最後の方に、北朝鮮と韓国の砲撃戦の報道が入ってきました。

柳下毅一郎氏は、「戦争は割にあわない」とする理性的な論理は優れていると思いましたが、2010年代になってからのきな臭い雰囲気がアジアに漂い始めたこともまた、事実ではあります。戦争が割にあわないにもかかわらず、軍備の増強が進んでいることも確かであって、割にあわないのなら軍備も割にあわないはずなのに、中国でも朝鮮でも軍備の増強は進んでいるのです。

ソヴィエとが滅びたにもかかわらず、アジアには中国と北朝鮮という時代遅れの共産主義国家が残っているのであって、この歴史的な異物と言うか、遅れの問題は柳下毅一郎氏の理性的な論理だけですむのかどうか、不安はあります。なによりも中国ですらが遅れてきた産業革命をやっている段階であって、こうした不均衡がある中での軍事的緊張があるのです。

日本の政治や社会の崩壊現象の進行もまた、戦争へとつながらないとも言い切れないものを持っています。大木裕之さんは、戦争で死ぬのを回避するためにチベットをイメージしているようですが、脱出の可能性を探しているようです。今回の催しの題名にもそういうことが示唆されています。それを間違いという気はありませんが、どこで死ぬのか、何を守って死ぬのかということも考える必要くらいはあります。

中国人も朝鮮人も、日本が侵略して痛めつけたことを覚えているのであって、この記憶は教育によって若い人にも伝えられています。過去の事実からは脱出できない面があるのであって、その逃げられない事実から逃亡していくとき、そこに開かれている世界には可能性はあるのでしょうか。大木裕之さんに続いて、たくさんの日本人が海外に脱出していく。そしてその脱出組が増えて、最終的には日本人全員が日本から脱出して、日本は空っぽになる。そこに中国人が入ってきて、日本列島は中国大陸に併合される。そういう事態になって、世界中から日本人が軽蔑されて、脱出した日本人に石を投げる。最初に石投げで殺されるのは大木裕之さんとなって、その記事が新聞に載る。そういうストーリーも悲しいものです。

いまさらチベットに逃げなくても良いのではないでしょうか。どうせ死ぬなら、日本でも良いし、とにかくなんでも良いから逃げないで、過去を引き受けて死ぬ。そういう惨めさや、無意味さの方が良いのではないでしょうか。


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